2011年9月25日

「坂出塩祭り」で塩ラーメン

地元ケーブルテレビKBNの取材を受ける亀城庵丸亀売店Fさん

第20回坂出塩祭りに出店した亀城庵(株式会社讃匠)ブースの応援要員として終日、瀬戸大橋記念公園で生ラーメンを試食のために茹でていた。秋晴れのさわやかな行楽日和。人出はまずまず、と言っても例年をあまり知らない。

我々のブースは搬入口に近く、ラッキーと思っていたが、実は奥まった所で、メインステージや正面入り口から見ると、公園の果てだった。寂しく厳しかった。

B級グルメ系飲食店や各種飲食の屋台、フリーマーケット、田舎町のイベントにしたら、それはまあ来場者、出展者がたくさん集まる賑やかなイベントへと成長した。歴史的な主催者の方々の長年の努力の賜物である。

坂出は江戸時代後期に大規模な塩田が開墾されて、今のまちに繋がる。私の母校である中央小学校(近年の少子化による統廃合により、現・坂出小学校)の当時の校歌では「にぃーぽんいちの せいえんち ここ さかいでの ちゅうおうに……」と歌われていた。今の校歌はどうなってしまっているのだろうか。坂出市の人口は1976年(昭和51年)の67,650人をピークに減少し続け、今年は55,069人だ。塩田が廃止され、坂出が日本一の製塩地でなくなったのは1971年(昭和46年)である。塩のまち以降、坂出は番の州工業地帯の重化学コンビナートで少し栄えたが、時代は変わってしまった。その後、1988年(昭和63年)瀬戸大橋が開通したものの、人口減少に歯止めはかからなかった。塩との距離が遠くなったことと、まちの衰退が重なる。多くの方々がこの事象に気付いた。それが「坂出塩祭り」へと受け継がれた。

私が株式会社讃匠在籍中に「坂出塩ラーメン」の企画販売を進めたのは、上記同様な思いがあったからだ。これからも思いを形に変えていければ、そして多くの方々と繋がっていけたらと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿